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2016.6.29

アゴーギク

曲のアゴーギクの観念をキチンと認識したのはウィーンの大学でした。
 音型やハーモニーの進行と音楽の流れに強く言及されていたのは当時、教えていらっしゃったカール・エステライヒャー教授。そしてウィーンフィルに客演する指揮者達の実演を見ながら、音楽の自然な流れを実感できたのは、ウィーンで勉強した多いなる収穫でした。
特に共に大好きなカルロス・クライバーとコリン・デイヴィスが、共にブラームスの第二交響曲で余り時を置くことなくウィーンフィルに客演したのは、指揮者の違いで変わる部分と、ウィーンフィルのウィーンフィルたる核心の変わらない部分との対比がわかり、本当に面白かったです。カール・エステライヒャー教授は日本に来たときにアテンドさせて頂いて、先生の昔話を伺ったっけ。終戦後まもなく先生がウィーンの大学を受験したときの想い出。今回の「ぴあクラシック」ではそんな昔話をちょっと綴っています。
ぴあクラシック P32をどうぞ!

 
 


2016.6.27

曲の意味

 ドヴォルザークほど、生涯こつこつ積み上げていった作曲家は居ないような気がする。野放図な設計の大曲から、動機や主題が緻密に絡み合う有機的な作曲の大曲への進化。時系列に曲を追って分析してゆくと面白いほど。
 同時に彼自身が曲に対して哲学的や文学的な意味を求める様になったのも事実。Op.95やOp.104では特にその傾向が顕著。今週末に本番が予定されるチェロ協奏曲Op.104の終楽章のコーダ以降は特にその意味合いが強く、また第二楽章に用いられたOp.82の旋律はこの曲のキーワードと言えるもの。
 Opus 82の1曲目は「一人にして」という日本語訳が付けれるけれど、本当は「私を放っておいて!」と訳す方が近いのでは無いのだろうか?

Laßt mich allein! Verscheucht den Frieden nicht
in meiner Brust mit euren lauten Worten,
daß ich ihn seh' und höre allerorten!
Laßt mich allein mit seines Bildes Licht!

 女性詩人にしてはなんて力強く情熱的な詩なんだろう。
 若い頃、好きだった人。自分の奧さんのお姉さんでもある人。その彼女が死の床にあると分かったときのドヴォルザークの心中はどうだったのだろう。彼女が好きだった曲をわざわざテーマに持ってくるなんて。
 やっぱり演奏家として演奏する音符が分かっても、意味が分からなければ、心から聴く物に訴えかける演奏はできないと思うのでした。

 
リンク:Op.82、和訳ページ


2016.6.21

読売新聞夕刊「くらし本」に取り上げられました。

 昨日の読売新聞夕刊「くらし本」に拙著、「聴きたい曲が見つかる!クラシック入門」がとりあげられました。この記事の約二週間前に自宅で取材があったのですが、担当の秋田記者、本屋でこの本を手に取って「この本はよい!」と取り上げてくださったのだそうです。大抵の本は出版社から売り込みがあって、新聞などで取り上げられる、と思っていたのですが、そうじゃないと知ってびっくりしました。
 本人以上にこの本を読み込んでくださっていて、色々質問してくださいました。秋田さんいわく「指揮者って言う人種は気難しくて、まともにお話しが出来ないと思っていました」とおっしゃいます。世間の一般的なイメージはそうなんでしょうね。私の師匠のなかにもそんな人が確かにいました。
 この本一応はクラシック音楽入門の位置づけなのですが、「ライフスタイルのなかに音楽を織り込む」というコンセプトで、音楽以外のワイン、恋、食べ物、色々な日常の話題が主になっているコラムも沢山あります。音楽に詳しい方でも楽しんでいただける、アンナエピソード、こんなエピソード、豆知識もちりばめています。
どうか書店で手に取ってみてください!


2016.06.20

信用するか?

楽譜の書き癖、っていうのは人によってさまざまで、とくに音符以外の指示にかんしては、とっても神経質なまで言葉をならべたてて説明してくれる、グスタフ・マーラーなんていう作曲家もいるわけです。優れた指揮者だった彼は、きっと他の指揮者なんか全く信用せず、自分の音楽を実現し、後世に残すために事細かに注釈を付け加えたのでしょう。
その点、ブラームスは「丁度いい」。演奏に問題が起きそうなところには必ず指示があるし、それでいて「うるさくない」。演奏家を信用している譜面。
こんな話の続きは木曜日のG-callサロンにて。