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Daisuke SOGA orchestra conductor -Official web-site

バルトークの生まれ故郷

国境のはざまで

ハンガリーの作曲家というイメージの強いバルトークが、実は現在のルーマニア領で生まれたと言う事実は案外知られていません。バルトークが生まれた時代は確かにハンガリー領。しかしながら第一次世界大戦後にルーマニアに併合された部分に当たります。ルーマニア語でスンニコラウマーレ(マジャール語ではナジセントミクローシュ)と呼ばれるこの村はハンガリーの国境から僅か5km程の所にあります。2009年12月の初頭に20年振りに訪れたルーマニア・アラドでのコンサートのついでに念願だったこの村を訪れることが出来ました。

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スンニコラウマーレ

この村でバルトークの真価を認め、バルトークの生まれ故郷としてメモリアルルームを創設するなど、バルトークに情熱を燃やしているのは残念ながらこの村でたった一人、とある薬剤師の努力なのです。片田舎といって良いこの村の一般の村人にはバルトークの音楽はなじみにくく、バルトークがハンガリーの家系という民族的な軋轢もあり、この世界的な作曲家が生まれ故郷で正当な扱いを受けていないのはとても悲しいことです。民族の壁を越えてグローバルな活動を目指したバルトークは、生前から受けていたさまざまなバッシングは悲しいことに、未だ尾を引いているといえるかも知れません。


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casanasterii.jpgバルトークの生家跡にて。バルトークは七歳の時に父を亡くし、この村からの引っ越しを余儀なくされます。バルトークはこの場所で生まれたのか、それとも農学校の一室で生まれたのか判っていないそうです。
cimitir.jpgバルトークの祖父と父の墓、村はずれにあるこの寂れた墓地では「死」を強烈に感じさせます。「バルトーク晩年の悲劇(みすず書房)」というバルトークのアメリカでの生活を綴った本には幼時の体験として、一緒に遊んだ少女が亡くなった体験で初めて自分が「死」を認識したとの談話が出て来ます。多分この墓所での体験でしょう。
scoala.jpgバルトークの祖父が開いた農学校。バルトークの祖父はこの農学校の為にこの村に転居しました。
statui.jpg村の中心にあるバルトーク記念碑
edison.jpgバルトークが民謡の採譜に使った、フォノグラフ。村の博物館にある、バルトーク記念室所蔵。ブダペストのバルトーク記念館から寄贈。

2010年220日

横浜は快晴!日本大通りから横浜港につきだした大桟橋へ!こんな絶景だと自然とアドレナリンも上がろうってものです!
指揮者的には不安で一杯。果たして500人から600人の合奏が成り立つのだろうか?
会場の雰囲気は最高なのですが、音は果たしてどう聞こえるのか、、、、早くも会場では演奏の為のクリニックが始まっています。

大桟橋.jpg

椅子並べ.jpg会場に並んだ椅子、最前列から撮影!! 延々とどこまで続くのでしょう?会場.jpg12時を迎え、いよいよ開場。皆さん思い思いに準備を始めます。サイレントベース.jpg今年も御世話になりました、 ヤマハのサイレントベース