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    <title>20年前のルーマニア・それはもう夢の世界</title>
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    <description>私の家系は三代に渡って21歳で海外を目指した。 祖父は中国へ。母はアメリカへ。&lt;br/&gt;そして、私は当時日本から最も縁の遠いヨーロッパの一つ、ルーマニアを目指すことになった。&lt;br/&gt;今では信じられない出来事の数々・・夢の世界？&lt;br/&gt;当時のルーマニアはチャウセスク政権の独裁体制の超管理社会。実は刻一刻と革命が近づいていたこともつゆ知らず、、&lt;br/&gt;-ルーマニア革命から20年、その前夜の話　</description>
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      <title>20年前のルーマニア・それはもう夢の世界</title>
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      <title>地下鉄</title>
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      <pubDate>Sat, 24 Oct 1987 15:00:23 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/10/24_de_xia_tie_files/DSCF1972.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_9.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;ブカレストには地下鉄があり、ルーマニア唯一の地下鉄です。&lt;br/&gt;というか当時ルーマニアに地下鉄が有ったこと自体がなかなかの驚きでした。工事方法は道路をぱっくり開けて掘り進むという結構力業の原始的な工法、、。例によって軍隊を大量動員して掘り進めていました。&lt;br/&gt;計画当初は日本に技術協力を仰いだようで、資金面の問題なのか、断られるとなんとか自己技術で開通させたらしく、友人が誇らしげに語ってくれました。当時の地下鉄は暗く、天井は低く(今もそうですが）、閉鎖的なイメージがありました。改札のところで１レイコインを投入して回転式のレバーを押して改札を通過するっていう料金の払い方が日本から来た身には新鮮でしたが、多分ルーマニアの公共交通機関で一番混んで居なかったので、利用しやすかったかな？&lt;br/&gt;ホームの端には時計がついていて、最初は何を表しているのか判らなかったのですが、どうやら前の列車が発車してからの時間を表していると言うことが判明。でもダイヤも何もなく気が向いたときにやってくる、、というおおらかなルーマニアらしい？運行状況だったような気がします。&lt;br/&gt;先日久々に地下鉄を利用したら結構路線が延びているのにびっくり。&lt;br/&gt;まあ２０年も経てば、、ね</description>
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      <title>バス</title>
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      <pubDate>Thu, 22 Oct 1987 07:30:15 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/10/22_basu_files/DSCN0213.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_10.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;20年前のブカレストの公共交通機関は主に市電、地下鉄、バス、トロリーバスがありました。そのなかでもバスと市電は凄まじかった(&gt;&amp;lt;“)。いつ来るか判らないバスをまち、到着したバスはドアが開きっぱなしで鈴なりの人がぶら下がっている状態。最近youtubeでインドの公共交通機関で近い物をみましたが、、、。&lt;br/&gt;ルーマニア特有のバスでメタンガスで走るバスも有りました。&lt;br/&gt;屋根の上に直径１ｍくらい、バスの長さの80%位の大きなガスタンクを日本載っけて走っていました。&lt;br/&gt;ルーマニアはエネルギー政策でガソリンと軽油は配給制。メタンガスのバスは苦肉の策だったのでしょうか？&lt;br/&gt;それにしても屋根の上のガスタンクはものすごい迫力、そして二連結の超大型バス、鈴なりの人、よく大事故が起きなかったものです。&lt;br/&gt;トロリーバスは結構地方都市で走っていました。しかしパンタグラフが外れやすく良く、運転手が降りて直している図をみかけました。しかしこのトロリーバスの近くを走るのは危険。&lt;br/&gt;人に聞いた話ですが、勢いよく外れたパンタグラフが車を直撃、屋根がぺちゃんこになってしまった事故が有ったそうです。</description>
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      <title>共産主義的建設</title>
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      <pubDate>Fri, 16 Oct 1987 07:34:08 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/10/16_gong_chan_zhu_yi_de_jian_she_files/DSCN0204.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_8.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;ブカレストの夏は思いの他暑い。ヨーロッパの中でも結構南に位置するブカレスト。40度近い気温を記録する日もしばしば。それでも熱心な教授は学校が休みの時期にも関わらず「せっかく日本から来てくれたんだから」と、扇風機を回しながらレッスンしてくれました。&lt;br/&gt;汗をだらだら流しながらコントラバスを引き続けたのは本当に良い思い出です。&lt;br/&gt;さて、そんな暑いさなか、ニョキニョキと巨大建造物や街の区画整理が行われます。7月末にある革命記念日に向けて、先のコラムに書いた兵役に出ている兵隊達を使いまくって、突貫工事で建設が進みます。&lt;br/&gt;この早さたるや、秀吉の一夜城を思わせます。&lt;br/&gt;壮麗な建設物は共産党の成果として、権力の象徴として、革命記念日を彩ります。&lt;br/&gt;確か私の過ごした共産党政権最後の３回の夏では、１回目がブカレストの区画整理、２回目がドゥンボビツァ河の治水工事（生チャウセスク大統領を見たのはこの治水工事を視察に訪れたとき）。３回目が博物館と&lt;a href=&quot;http://en.wikipedia.org/wiki/Palace_of_the_Parliament&quot;&gt;国民の館&lt;/a&gt;(写真)。博物館は表側しか間に合わず、裏は鉄骨むき出しのまま、、国民の館は豪華絢爛な建物で、「国民の館」といいつつ、実はチャウセスク大統領のホワイトハウスとして建設された物。&lt;br/&gt;食うや食わずの国民を尻目にこのような建設を繰り返した共産党に怒って革命が起きたのも仕方ないでしょう。&lt;br/&gt;でも本当に国民に役立つ建物であれば、あれだけの物が国家主導で建設しまくれたと言うのも驚くべき話で、少しだけ残念なのは私が良く行くブラショフというルーマニア第二の街では、もう１年共産党政権が続けば立派なコンサートホールが出来たハズなのです（設計図までみせてもらいました）。&lt;br/&gt;でも本当にあの年、1989年は国民にとって我慢の限界の年ではありました。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>兵役</title>
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      <pubDate>Wed, 14 Oct 1987 06:26:21 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/10/14_jian_sherasshu_files/DSCF1944.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_7.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;ルーマニアに行って兵役がある国ということを実感しました。&lt;br/&gt;通常は２年、兵役につかなければなりません。&lt;br/&gt;アジアの国々だってお隣の韓国は兵役がありますし、ましてや地続きのヨーロッパ、今は平和でもいつ攻め込まれるかもしれないわけで、、、しかも今から20年前はまだ東西の壁が有った時代。当然と言えば当然、しかしながら脱軍備を憲法上は歌い、「軍隊」を持たない国から来れば自分たちと同じ世代の人間が兵役につくというのはなかなかのカルチャーショックでした。&lt;br/&gt;ルーマニアの大学は狭き門でしたが、大学に入ると兵役の期間は半年に短縮されます。その代わり毎週決まった時間に軍の授業があります(女性はそれだけで完全免除）。いつものクラスメートが軍服に着替えて教室に入ってゆく様も新鮮でした。&lt;br/&gt;一度「私も受けさせてくれないの」って行ったら「ダメ」だって。&lt;br/&gt;ま、そりゃそうか。</description>
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      <title>朝の行進</title>
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      <pubDate>Fri, 9 Oct 1987 00:18:47 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/10/9_entori_1_files/DSCF1942.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_7.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;朝寮を出て、音楽院に向かうと丁度道を渡りたいな〜〜というタイミングでヴィクトリア通りの交通が閉鎖されている。沿道には警官がずらっと達、横断者を止めている。「まただ」。朝の行進。ブカレストの北側からパトカーを先頭に大統領専用車のダチア2000がものすごいスピードで通過してゆく。大統領の出勤タイム。権力のデモンストレーションに見えるこの瞬間が日本人留学生の目にとって奇異に映ったのは言うまでもない。&lt;br/&gt;街中に自動小銃を担いだ兵隊さんたちが警備の為闊歩してるのも、日本から来た身としてはびっくりさせられました。&lt;br/&gt;逆にいえば治安が良く、考えてみれば留学中危ない目に一度もあった覚えがありませんでした。&lt;br/&gt;宮殿の角には衛兵がたっていて、微動だにしないのはヨーロッパの伝統だったような気もします。兵隊さんに敬礼すると敬礼を返してくれる礼儀の正しさが嬉しかったな〜〜&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;</description>
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      <title>一本のカセットに思う</title>
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      <pubDate>Wed, 7 Oct 1987 07:46:56 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/10/7_yi_bennokasettoni_siu_files/DSCF2683.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_7.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;ここ数日間、20年前のルーマニアでのカセットテープに残された録音をデジタル化する作業をしています。&lt;br/&gt;私が日本から持って行ったマイクとウォークマンプロフェッショナルという民生用の機械での録音にも関わらず、デジタル録音に耳慣れた今も、クリアな音でそのときの名演を蘇らせてくれます。&lt;br/&gt;考えてみれば、ヨーロッパに於ける日本人の地位、そして尊敬はこのような先人達が苦労をして築き上げた、素晴らしい日本製品によっても支えられているのです。ここ数日間で20年前のルーマニア電気製品を否定するようなコラムも書いて来ましたが、それにもまして今感じられるのがその当時からの日本製品のすばらしさ。&lt;br/&gt;留学当時、日本製品が世界に認めてなければ単なるアジア人の一人として差別の目で見られていたと思うし、事実そのような差別の意識は未だにヨーロッパに有るような気がします。&lt;br/&gt;東欧、西欧の壁はあったけど、ヨーロッパに出て行くのに本当に障壁を下げてもらった、日本人のパイオニア達、そして精巧な技術による工芸品とまで言える、このような素晴らしい製品を心血注いで作り上げた人たちに今一度感謝したい気持ちで一杯です。</description>
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      <title>エレベーター</title>
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      <pubDate>Mon, 5 Oct 1987 23:13:08 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/10/6_erebeta_files/DSCF1951.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_6.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:127px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;ルーマニアのカルチャーショックの一つにエレベーターがあります。&lt;br/&gt;当時のルーマニアのエレベーターは殆どが自動扉ではなく、一枚の表扉と観音開きになる内側の扉を手動で閉めて、ボタンで目的階を押すようになっています。&lt;br/&gt;エレベーターが満員になると、内扉の上に付いている扉を閉めると押されるようになっているスイッチ(上の写真を参照)を手で押し続けていると、エレベーターは動くので、扉は開いたまま、むき出しの壁が動くのを見ながら昇降することが出来ます。&lt;br/&gt;音楽院にもこの形式のエレベーターが有って、階の途中で故障して出られなくなったことも数回ありました(エレベーターの方からベルの音がするときは大抵エレベーターの中で閉じ込められている人が居る証拠）。&lt;br/&gt;この間知り合いに話を聞いたら、知り合いは三階くらいの高さからエレベーターの箱ごとロープが切れて落っこちたことが有るということ、、&lt;br/&gt;おそろしや〜〜〜&lt;br/&gt;（ちなみにこの型のエレベーターはまだルーマニアで現役で動いています。お気をつけください)</description>
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      <title>外国の情報を得るには</title>
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      <pubDate>Mon, 5 Oct 1987 03:20:53 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/10/5_entori_1_files/ok_13886.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_5.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;当時の東欧圏、ルーマニアに於いても外国で、なにが起こっているかを正確に知るためには外国のラジオを聴く事が一番の近道でした。国内の情報でさえものすごく制限されていたのでやはり外国発信のラジオが頼り。最も聴かれていたのが&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91&quot;&gt;自由ヨーロッパ放送(ルーマニア語: Europa Libera)&lt;/a&gt;だと思います。でもこの外国の放送を聴くことはルーマニアでは禁じられていたので、みんなコッソリと放送を聴き、また政府による電波妨害も行われていたみたいです。&lt;br/&gt;留学中の私が持って行った物のなかに、短波ラジオがありました。これでアフリカのガボンを経由してくる&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/NHK%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%82%AA%E6%97%A5%E6%9C%AC#.E9.80.81.E4.BF.A1.E6.89.80.EF.BC.88.E3.82.AB.E3.83.83.E3.82.B3.E5.86.85.E3.81.AF.E6.89.80.E6.9C.89.E8.80.85.EF.BC.89&quot;&gt;NHKの短波放送&lt;/a&gt;を受信していたのが、日本を知る唯一の情報源。NHKのテレビが衛星放送で見られ、インターネットもつなぐことが出来、世界中の様子が動画で見られることを考えると隔世の感があります。&lt;br/&gt;とある午後に部屋にいて、ラジオの周波数を合わせていると聞き慣れない日本語放送をキャッチしました。&lt;br/&gt;これは西ドイツのケルン発の&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AC&quot;&gt;ドイチェヴェレ&lt;/a&gt;の日本語放送で、ヨーロッパの風俗のことなどをこの放送で知りました。この放送は本国発信だったので、日本ではまずキャッチすることが出来ず「幻のドイチェヴェレ」と呼ばれていたそうな、、、。でも異国で聴く日本語の放送は嬉しかったなあ。&lt;br/&gt;残念ながら1999年を持ってドイチェヴェレの日本語放送は終了、そしてガボン中継のNHK短波も2006年で終わってしまったそうな(他の経由地は引き続きあり)。涙、、&lt;br/&gt;</description>
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      <title>テレビ・ラジオ</title>
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      <pubDate>Mon, 28 Sep 1987 03:35:13 +0100</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/9/28_terebirajio_files/telecolor-300x172.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object001_4.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　当時のルーマニアの電気店にならぶ品物を思い出してみると、扇風機、洗濯機(二槽式や一槽式で脱水のない簡単な物)、良く切れる電球、家庭用のヒューズ、延長コード、簡単なレコードプレーヤー位で終わり、、。最新の電気機器を日本で見慣れた目からすれば、20年くらいタイムスリップした印象。たまに白黒テレビが並びますが、すぐ売り切れます。カラーテレビもコンスタンツァという都市で生産されていたらしいのですが、店に並ぶことは殆ど無く、一般で手に入れるのはかなり苦労をしていたらしいのです。そういば当時の音楽院の校長室には立派な大きさの真空管ラジオが大事そうに鎮座していたなあ。&lt;br/&gt;　当時のテレビ放送は殆ど共産党の宣伝ニュース。チャウセスク大統領の工場視察とか農場視察をよく見ました。海外からのニュースも有りますが、共産党政権に都合の悪い情報はすべて流れません。あとはルーマニア製や他の共産国が作った映画など、、、。&lt;br/&gt;　でも、水曜日の晩だけは特別！サッカーの生中継があるからです。&lt;br/&gt;　テレビの前に集まってみんなが応援をしていました（逆に水曜日の夜にはオーケストラの練習など特別なイベントを組まないのが不文律でした）。 &lt;br/&gt;　海外製の電気製品は国の中に入ってくるときに100％以上の関税を課せられていましたが、当時のルーマニアの家庭のステイタスは、なんとか家庭用ビデオを手に入れること。ビデオがある家庭ではみんなが集まってすり切れていそうなダビングをしたテープで西欧の映画などを見ていたようです。&lt;br/&gt;　それもこれも極端に国外からの情報がルーマニアに入ってくることを制限する政策をとっていたことによります。国外の生活にあこがれを抱き、我慢を強いられるその当時の生活に嫌気がさすことを、共産党がおそれていたからです。その情報制限にも限界があることは判っていたとは思うのですが、、。&lt;br/&gt;　</description>
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      <title>オリエントエクスプレス</title>
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      <pubDate>Sat, 26 Sep 1987 03:09:36 +0200</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/entori/1987/9/26_entori_1_files/DSCF3179.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.soga.jp/blog-20/20yearsago/Blog/Media/object002_3.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:128px; height:68px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;　オリエント・エクスプレスという名前が&lt;a href=&quot;http://www.jiji.com/jc/zc?k=200908/2009082300015&quot;&gt;ヨーロッパの鉄道の時刻表から消えてしまうと言うニュースを先に読みました。&lt;/a&gt;2009年12月で廃止されてしまうとのこと。ルーマニアに住み始めた当初から鉄道を使って国境を越えて行くというのは一つのあこがれの対象でした。オリエント・エクスプレスは20年前は普通の特急として二晩かけてパリ東駅からドイツを通り、ウィーンの西駅を抜けブダペスト、ブカレストの北駅へと毎日運行されていました。当時のルーマニア発の国際列車の最長路線のひとつでした。　もっとも通しでブカレストーパリを走るのは一両だけ。機関車は主な国境で、車両は編成替えがあり、主にウィーンの西駅で大規模な編成替えが行われていました。私自身は一度だけ1988年に乗り通した事があります。　　　&lt;br/&gt;　ちなみにこのオリエントエクスプレスは&lt;a href=&quot;http://www.orient-express.co.jp/web/luxury_jp/luxury_travel.jsp&quot;&gt;豪華列車&lt;/a&gt;として運行されているものとはちがい、旅人の普通の運行手段として営業している路線です。&lt;a href=&quot;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%88%E6%80%A5%E8%A1%8C&quot;&gt;詳しい歴史はこちら&lt;/a&gt;。&lt;br/&gt;　ルーマニアとハンガリーの国境ではそれぞれ1時間強づつ列車が止められ、パスポート検査と荷物検査があり、かならずトランクを開けさせられました。真夜中の検査、車掌にたたき起こされてのんびりまわってくる検査官を待つ間、そとでは車輪を検査するために鉄輪を金槌で打つ「キーン」という音が鳴り響いていました。&lt;br/&gt;　当時はルーマニア人の海外への旅行がものすごく制限されていた時代、後々聞いた話では亡命の為に、客車の屋根裏に通じる板を外してそのなかに押し込んで貰い、48時間以上そのなかでじっとしてパリまで行った強者がいたそうです。&lt;br/&gt;　当時の寝台列車は東ドイツ製。ベットが二段か三段あり、折りたためるようになっていました。簡単な洗面台がありましたが、お世辞にもキレイと呼べる代物ではなかったなあ。簡易寝台、クシェットは一つのコンパートメントのなかに6段の固い段々があり、そこで寝そべるだけ。&lt;br/&gt;　もうほとんどヨーロッパの長旅を電車ですることはなくなりましたが、あの独得の寝心地(の悪さ)と窓の外に見える星空、そして鉄輪を叩く「キーン」という音は目を閉じれば未だリアルによみがえってきます。</description>
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